泥沼「日中抗争」の核心
尖閣諸島地主一族が激白120分
日中間に大きな摩擦を生んでいる尖閣問題。
その舞台となった尖閣諸島に、「日本人地主」がいたことは驚きをもって報じられた。
本誌は、あらためて地主一族を直撃。自信と尖閣諸島の関わりから領土問題の核心、国のあり方まで、大いに語ってくれた!
「数十回島に上陸している」
「将来的に、中国政府に対しても、中国人個人に対しても、譲渡する意思は絶対にありません!」
こう言い切るのは、大小5つの島と3つの岩からなる尖閣諸島のうち、4島を所有する地主一族、栗原家の三男・栗原弘行氏(63)だ。
去る9月7日、尖閣諸島沖の日本海領域で海上保安庁の巡視船と中国のトロール漁船が衝突したことから始まった尖閣問題。9月25日の中国人船長の保釈後も、中国サイドは「中国固有の領土」を主張し、日本に対する露骨な対抗措置を繰り広げてきた。しかし、実はこの島、れっきとした日本人の地主がいるのだ。
まず本誌は、地主である埼玉県在住の同家長男・栗原國起氏(68)に取材を試みた。しかし、留守中の同氏に代わって夫人がこう答えた。
「今(國起氏は)おりません。お騒がせして本当に申し訳ございません。国内外からの取材の申し込みがありますが、お答えしていない状況です。個人レベルの問題ではなく、国レベルの問題なので私も何もお答えできません。申し訳ございません。お体にお気をつけて…」
しかし、別ルートから栗原家の窓口になっている人物がいるという情報を得て、コンタクトを試みた。それが冒頭の言葉の主である弘行氏だ。
「現在は4島を兄(國起氏)と妹が所有している」
とのことだが、弘行氏も1972年から2002年まで、尖閣諸島4島のうち2島を所有していた。
「栗原家は代々、長兄主義ですので、私は名義を貸していただけです。ただし、兄は一度も上陸した事はありませんが、兄の命を受けて行った70年以来、私は数十回(尖閣諸島に)上陸しています」
そんな同氏が一族を代表して今回の騒動について語ってくれた。
まず、一連の尖閣問題についてどう思っているのか。
「過去を振り返っても、よくあることだと思って見ています。78年には中国漁船100隻が尖閣周辺に集結する事件もありましたからね。今回は、逮捕されたことで大きく注目されることになりましたが、全国紙に載らないレベルでは、頻繁に尖閣海域への中国漁船の侵入は起きているのです」
意外と言っては失礼だが、今回の大騒動を実に冷静に見ている。しかし、日本政府の「事後処理」がよくないと同氏は続ける。
「国内法に基づいて逮捕したなら、最後まで国内法で処罰すべきではないでしょうか。そして、尖閣諸島を日本の領土として考えているなら、政府として堂々と意思表示をするべきだと思います。今回の騒動では、私たち栗原家が尖閣諸島と関わっているという事を抜きにしても、一日本人として『主権国家として日本はどうなのか?』と不安に思いました。外務省がどのように考えているのか見えてこず、責任も(那覇)地検に押し付けてしまった。『はたして日本の領土と国民は、本当に国に守られているのか?』と思った国民は少なくないはずです」
中国の恩家宝首相(68)は9月23日、国連総会の場で国家主権や領土保全について「決して屈服も妥協もしない」と、あたかも被害者のような発言をして、自国の正当性を主張した。この弁への対処も不十分だと弘行氏は話す。
「菅直人首相(64)が、なぜ世界に向けて発信できる国連の場で何も主張しなかったのかも疑問です。国連で中国にいいように言われっぱなしでは、諸外国に『そうなのか』と信じられてしまう危険があります。反論ではなく、主張でいいからすべきだったと思います。それこそ『粛々と』やっていただければよかったのに、中途半端な印象です」
企業から巨額買収オファー
ここで、尖閣諸島の歴史について触れておこう。
尖閣諸島は、沖縄・石垣島の北東に位置し、魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島の5島と3つの岩を指している。
この尖閣諸島を開拓したのが、1856年、福岡県八女市に生まれた実業家である古賀辰四郎氏である。
「今でも、10月から5月初頭くらいまでは偏西風が吹いて、常時、風速15メートル前後の強風が吹く絶海の孤島です。その尖閣諸島を、辰四郎氏が4人目にして初めて、開拓に成功したと聞いています。
その功績から、明治政府から尖閣諸島4島を借り受け、カツオ節工場やアホウドリの羽の加工場を設け、一時は200人以上が島で暮らしていたそうです」(弘行氏)
その後、1932年に辰四郎氏の長男・善次氏に4島が払い下げられたが、戦争のため1940年代前半からは無人状態になっていたという。そして-。
「善次・花子ご夫婦にお子さんがいらっしゃらず、私の兄を実子のようにかわいがっていただきました。そのご縁で、72年から栗原家が2島を譲り受けることになり、善次さんが78年にお亡くなりになると、資産は花子さんに移りましたが、その際に魚釣島も栗原家に譲渡してくださいました。88年1月に花子さんがお亡くなりになると、遺言書によって、その他の資産も栗原家が引き継ぐことになりました」
一部報道では、約4600万円で古賀氏から譲り受けたとある。
「69年、すでに国連の調査で地下資源が確認されていますから、そのような(少ない)額ではありません。ただし、兄はお金儲けで島を譲り受けたのではありません。『島を自然のままで残して欲しい』『父たちが開拓した歴史を残してほしい』という善次氏の遺志を受け継ぎ、譲り受けた資産を財団法人古賀協会の設立と記念碑の建立に注ぎました」
報道では、02年から国が賃貸借契約を結び、年間約2500万円の賃借料を栗原家に払っているとのことだが、
「細かい金額はわかりかねますが、固定資産税も払っていますし、兄ももうすぐ70歳ですから、将来的に相続するなら相続税も払うことになります。しかも相続税は、あの島の場合、公用地扱いになるので、路線価に対してではなく固定資産税の何倍という計算になり、支払えなければ物納(島を没収される)となります。
利益目的なら、税金を支払うとしても、まだ売却したほうがいいのかもしれません。バブル前には、私が知るだけでも、魚釣島だけで約150億円、3島350億円で島を売ってくれというオファーが、石油系企業からあったことを記憶しています。しかし、兄はそういった企業関係者と面会したこともありません」(弘行氏)
「伊勢エビが素手で取れる」
しかしなぜ、そこまで栗原家は尖閣諸島の継承にこだわるのか。
「仮に日本企業に売却したとしても、何かのきっかけで中国企業に転売されたら結局、中国政府の実効支配になってしまいます。そうなったら文句は言えないどころか、苦難の末に開拓し、日本の領土として世界に示した古賀辰四郎さんの歴史そのものまでもが消されてしまうことになると思うのです」(弘行氏)
前述のとおり、辰四郎氏の息子・善次氏も「自然のままで」ということを願っていた。
最後に、弘行氏は尖閣諸島の未来についてこう話す。
「年の半分以上、強い偏西風にさらされていますが、例えば魚釣島は標高370メートル近い山があり、原生林が生い茂るジャングルです。メカジキもすぐ周辺を泳ぎ、取っちゃいけないんで取りませんが、産卵期には、夜になると岩場で伊勢エビが素手で取れるほどです。
どうしてもガス、石油開発を前提とすると、国家間の紛争の火種になる可能性が高まってしまいますが、それなら発想を変えて日・中・台の共同開発で豊富な水産資源を活用する港を建設したほうがよほどいいと思うんです。また、偏西風が吹き荒れ、過去には命を落とした漁師さんも少なくない荒海ですから、各国の緊急避難港としても十分効力を発揮すると思います。
まあ、守るということは容易なことではありませんが、強い意志で綿々と受け継いでいきたいと思っております」
この先人たちの思いに、それでも中国政府は「尖閣諸島はわが国のもの」などと言い募れるのか。
「島は中国に絶対渡さない!」尖閣諸島地主一族が激白120分 :イザ!
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Author:たくあんまりさ
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