著者の本の特徴は、このようにちょっと調べただけでも嘘だとわかる記述が非常に多いことである。いずれも取材をしていれば必ず、それも先ず初めに得るだろう類の情報である。にもかかわらず、震災・原発事故から一年半経っても、著者の本にはそれらをまともに参照した形跡がない。そして、事実確認のお粗末さと比例するように、バレた時のための予防線を張るような文言が多い。「私はデマだと言われている」とつねに自ら大っぴらに喧伝するのも、評判が読者に及ぼす影響を減殺し、まさか本当にデマだと疑わないようになることを当てにしている訳である。また、著者はたびたび「多様性」をもちだして自己弁護しているが、確認すべきことをせずに虚偽の記述をくりかえす事と、価値観の多様性とは何の関係もない話である。
日本のマスメディアについては均一的で議題設定機能に乏しいという問題がよく指摘される(フリーマン『記者クラブ』、前嶋『アメリカ政治とメディア』)が、他方の一端では、著者のようにセンセーショナルに書き散らして後から嘘が発覚した者が、いいかげんで無責任なメディア事業者や、黙認する同業者・業界人がいるために、業界から追放されずに同じことをくりかえすという問題があるようにみえる。こうしたことは例えば、著者が好んで引きあいに出すアメリカのメディアでは通用せず、実態を知りながら著者を起用している事業者も非難を免れない筈である。
国内メディアへの攻撃とは裏腹に、著者の一連の振る舞いから窺われるのは、むしろ日本の報道文化ないし出版・放送文化にたいする、屈折した信頼感と執着である。それら業界を相手にやっているかぎり、どんな嘘もしらばっくれていれば何とでもなると踏んでいるのである。それが著者がジャーナリストとして培ってきた価値観なのだろう。
メディアと原発の不都合な真実 上杉 隆著 Amazon.co.jp: proustienneさんのプロフィール: レビュー
昨年のモーターショーに行ったとき、ずらりとタイヤが並ぶメーカーのブースの前で、学生達に質問しました。「タイヤの溝は一定ピッチで切られていないのを知っていますか」。
学生達は最初きょとんとしていましたが、どのタイヤもじっくり見てみると、少しずつパターンの間隔が変化しているのに気がつきます。全く一定間隔のように見えるパターンでも、離れた場所を見比べると、ひとつのタイヤの中で歴然と間隔が違うのです。「さて、何故このようにピッチを少しずつ変えてあるでしょう」。残念ながらその場に正解者はいませんでした。
ご存じの方もたくさんいると思いますが、正解は耳障りな騒音を出さないための工夫です。一定ピッチで溝が刻まれているとそれぞれのブロックが一定間隔で地面に衝突するため、ある周波数のビーッという明瞭なノイズが発生します。しかし、パターンに変化があると様々なタイミングで衝突するので、全体としてざーっという周波数の幅のあるノイズになります(ホワイトノイズ化)。そうすることによって耳障りなロードノイズを防いでいるのです。
このノイズ低減方法は結構古い技術のようです。
山中俊治の「デザインの骨格」 » タイヤの刻みが一定じゃない話(via tlav95tlav95)
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Author:たくあんまりさ
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