終戦直後のまだ国民が飢えと戦っていたころ吉田はマッカーサーに「450万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓タヒしてしまう」と訴えたが、アメリカ側は結局6分の1以下の70万トンしか輸入できなかった。しかし、餓タヒ者はでなかった。マッカーサーが「ミスター・ヨシダ、私は70万トンしか渡さなかったが餓タヒ者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」と抗議した。それに対して吉田は「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったら、むちゃな戦争などいたしません。また統計どおりだったら日本の勝ち戦だったはずです」と返した。これにはマッカーサーも大笑いだったという。
764 名前:774RR[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 03:10:57 ID:llqfLP0R
黒柳徹子(国連ユニセフ親善大使)はこんな人
・自著「窓際のトットちゃん」の印税で障害者のための基金を設立して著作権も寄贈
・自身の口座に寄せられた募金は1円残らず全額をNYの国連ユニセフへ送っている
・世界ふしぎ発見のトップ賞や1年間に着た衣装を毎年チャリティバザーで売り払い
日本の孤児のための家を3軒建てた
・「女性への教育について、せめて難民キャンプの中だけでも許可してほしい」と
アフガニスタンでイスラム原理主義組織タリバンとの直接交渉に赴き許しを得た
・ボスニア視察で地元警察に言いがかりをつけられバスを5時間足止めされたとき
緊迫する車内で老婆役の芝居をしてスタッフやみんなを笑わせて和ませた
・-25℃の極寒のアフガニスタン視察で、トラックは空爆にあうから・・・と、ロバを
1000匹チャーターして国内避難民160万人のために毛布と栄養食を届けた
・視察先で地元の子供たちがサッカーをして遊んでいて誤って地雷原にボールが
入ってしまった際、地元民が誰ひとり近づこうとすらしない地雷原に何の躊躇もなく
入っていきボールを取ってきてしまった
『25年の私の活動を通して、多くの人が途上国の現実がわかってくださるのであれば、
少なくとも私が現地に行くことによって募金が集められるのなら、それでいいと思います。
自分は独身だし、何かあったら、そのときはそのときだと思っています。』
続・妄想的日常 - 黒柳徹子はこんな人 (via highlandvalley)(via tlav95tlav95)
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Author:たくあんまりさ
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