例えばだ、
「ちょっと待てよ」だとか、
「と言ってもだ」とか、
「なんだけども実際のところ」のような、
何を話す時にも全ての口語調の語りなり思考なりの最初に脈絡もなく、意味不明でもこの言葉を言ってから始めるとかね。
いきなり、
「と言ってもだ」から語り始めるなり思考を始めるって事さ。
(何を言ったかとかどうでもいい)
とにかく自分の話す言葉の始まりを「と言ってもだ」を掛ける。
一種の韻を踏むやり方なんだが、
なんつーかどんだけ強迫的潜在意識が慢性的に胎動していても、自意識マター起動時にこれを(無意識ではなく)意識に持ち上げて(なんだかわからなくても)、
「と言ってもだ」という呪文によって切る。
なんかね一部にはこれ随分バカバカしい話に思われるかもだが、
案外真剣にこの辺の部分考えているんだよ、実は。
心理学的にもこれ相当研究の余地あるのじゃなかろうかとね。
心理学なのか言語学なのか: Kagewari 精神分析相談事務所・沖縄分室
実は私、西アフリカのそのまた西の端にあるシエラレオネという国で、昭和45年から2年生活したことがあります。
年齢で言うと、30歳になった年に行き、32歳までおりました。
実家の会社からの派遣でした。ご存知なくても一向構いませんが、私の実家というのは元は石炭の山を掘っておりました。シエラレオネでは、ダイヤモンドを掘れという命令です。
日本の大使館や領事館が何もない時代でした。青年海外協力隊も来ていない。
自分で水を汲んで風呂を炊き、発電機を動かして電気を起こすという、協力隊の諸君がしているような生活を送りました。それなのに、アメーバ赤痢やマラリアに、私の会社から行った中では私だけがかからなかった。まあこれは、余談であります。
ダイヤモンドを掘る現場ですから、マシンガンで襲われたりする事件に、いちいち驚いてはいられない。けれども我々のところは、全く襲撃されませんでした。部族の長老にきちんと挨拶をしてあるし、電気を起こしてあげたり薬を譲ったり。指導者たちの信頼を勝ち得ていたから、命を狙われるというような心配は何もなかったわけです。
この時期以来、私はいつしか、「日本の常識は世界の非常識などと言うが、日本人がアフリカでもっと働くようになると、日本の常識は素晴らしいと言われるようになるのじゃないか」と思い、口にもするようになったのです。
というのは2年というもの、我々日本から行った者と同じようにして、現地の人たちと一緒に汗を流しているヨーロッパ人や、アメリカ人の姿というものに、あまりお目にかかることがなかったからです。一般化しすぎるのは慎まないといけないが、少なくとも我々日本人だけでした、現地の人々とまったく同じ目線で、共同して働くという姿勢を持ち合わせていたのは。
同じ姿勢が、途上国でODAの実行に携わるJICAや協力隊、NGOの人々に、昔も今も変わらず明確に見て取れることは言うまでもありません。
麻生外務大臣とシエラレオネ-麻生外務大臣演説 (via tomatoo) (via kml) (via takaakik) (via gutarin) (via aokie) (via thinkupstudio)(via tlav95tlav95)
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