関東連合の歴史を紐解いていきますと、そもそも、1974年(だったかな)、ブラックエンペラー総長の遠藤さんが、関東一円の暴走族に声を掛けて、関東連合を結成。その頃はチーム同士の抗争も激化、警察の取締りが激しくなっていて、「このまま抗争していたら、みんな摘発される。連合作って警察とも仲良くやっていこう」と、遠藤さんは訴えたようです。中心チームのブラックエンペラーだけでも2000人。それにマッドスペシャルとか加わって、関東連合は巨大連合チームになりました。漫画の原作でお世話になった蛯澤さんは、それから3年ほど経った頃の時代、ブラックエンペラーの6代目総長でした。
当時は暴走族自体が社会ブームとなっていたから、関東連合だけじゃなくて、他にも5000人のCRSとか、全日本狂走連盟とか、キラー連合とか、たくさん巨大連合チームが跋扈している時代でした。不良やるなら暴走族って感じだったんですね。関東連合はそんな中でも「クスリ厳禁、女も走らせない」など厳しい規律を持つ硬派チームとしてならしていたようです。この辺りは古きよき不良の精神がまだ根付いていた頃です。刃物よりは、金属バッドなどがメインの武器でした。
さて、それから15年ぐらい経って……。
渋谷でチーマーブームというのが起こります。関東の不良少年はみんな渋谷にやってきて、連日連夜、チームを結成した少年たちが街に溜まり始めます。宇田川警備隊、AMG、渋谷変態倶楽部、バブルス……色んなチームが生まれました。明大中野などの有名私立高校の生徒とかも、イラプションやウォリアーズなどのチームを作りました。
当時のチームに関しては、実話ナックルズさんの方で、10チームぐらい取材をしました。ナックルズ編集長の久田さんがちょうどチーマー勃興期に青春を送られていまして。そんな編集長の後押しも受け、これだけ長く連載をさせていただいたのです。
で、この1990年前後のチーム時代、必ずあがってくるのが、朝青龍事件の被害者K氏の名前なんですね。どうやら、K氏は当時の渋谷のトップに立っていたようです。でも、彼はチーマーではなくて、暴走族です。
このK氏というのは、何者なのか。なんでも、ネットを見てみると、いわく六本木界隈の麻薬を取り仕切っている……。更には、のりぴー、押尾事件にも……!?とか色々と語られていますが、その辺りは怖いので置いといて(笑)、不良時代の話をします。
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Author:たくあんまりさ
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