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私が言いたいことは3点である。
第一に、「有害表現」というのは「有害行為」が生じたあとに、遡及的に措定されるものであり、自存的に存在するものではない。
性犯罪や暴力行為は、遺伝形質によっても、家庭環境によっても、教育によっても、信教によっても、イデオロギーによっても、もちろんそうしたければ「有害表現」によっても説明可能である。
けれども、それはあくまで「仮説」的な前件にすぎない。
同じ環境に育ち、同じ教育を受け、同じ本を読み、同じ映画を観ても、ある人間は殺人者や強姦者になり、ある人間はそうならない。
ふちぎりぎりまで水が満たされたコップに最後の一滴が加わって水があふれたときに、その一滴を「原因」だと言うことは適当ではない。
そう言いたい人間は言えばよいが、それは起きた出来事についてほとんど有用な知見を含まない。
第二に、前項にもかかわらず、性交や暴力についての表現規制によって、そのような行為が効果的に抑制されたという事実は私の知る限り存在しない。
それは結局のところ「有害表現」という「もの」は存在しないということである。
現代世界で、性描写についての禁圧がもっとも厳しいのはイスラム圏であるけれど、女性の人権が軽視され、性暴力がもっとも激烈なのは当のイスラム社会である。
現代世界で、もっとも暴力的なのはアメリカであるが、そのアメリカは1934年から68年まで、ヘイズコードによって映画での性描写と暴力がきびしく規制されていた。その表現規制はアメリカがその間太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争で数百万人のアジア人を殺すときには抑制的には機能しなかった。
第三に、そもそも「有害行為」が増加しているという現状認識そのものが、統計的事実を見る限り正確とは思われない。
「日本はこれまで以上にきびしい表現規制が必要であるほど有害な行為が増加している」ということを統計的に証明できない限り、そもそもこのような条例についての議論は始まらないはずである。
誰が、どういう根拠によって法規制の喫緊であることを証明したのか、それを東京都の関係者は開示しているのであろうか。
私が言いたいことは、以上三点である。
内田樹の研究室 - 非実在有害図書
http://blog.tatsuru.com/2010/04/24_1046.php
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ふえぇ…ここまで読んでくれてありがとうだよぉ…