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ネット上には、「人生がなかなかうまくいかない」と思っている人が多い。もやもやとした不満、不安を抱えながら生きている人が多い。特に、他者との関係をうまく取り結べず、苦労している人が多い。
そういう人は、生活を窮屈に感じている。特に、実生活での他者との関係を「圧迫的」あるいは「縛られている」と感じて、「なくしてしまいたい」「なくなってしまえばいい」と思っている。そういう人は、しかしネット上での関係は比較的たやすく取り結べる。2ちゃんに行けば、気に食わないものを揶揄する「同志」はすぐに見つかるから、一体感を取り結びやすいし、ツイッターも、考えの似た人だけと関係を構築すれば、似たような感覚をもたらしてくれる。
そういうのを体験していると、リアルがますます息苦しく感じる。息苦しく感じるから、ますます疎んじるようになる。ますます疎んじるから、他者にもその空気が伝わる。すると、他者からも疎んじるようになって、ますますうまくいかなくなる。そうして、ますます息苦しく感じるという、負のスパイラルに陥ってしまう。
最悪、それでリアルの世界ではもうほとんど生きていけないくらいに、生活を悪化させてしまう。端的に言えば、働けなくなって収入を途絶えさせてしまう。
そうなると、普通はそこで一度、「このままではまずいのではないか?」「自分は間違っているのではないか?」「もっと実人生と折り合いをつけた方が良いのではないか?」と思うようになる。そうして、これまでの自分を反省して、妥協しながら、もうちょっと他者とうまくやろうとする。そうして再び働きはじめ、収入を何とか確保して、生きていけるようになる。
ところが、そのぎりぎりの境目のところで、ちきりん氏のエントリーを読んでしまう人がいる。その言説に引っかかってしまう人がいる。彼らは、ちきりん氏の――
一番大事なこと
それは、「自分がどう生きていきたいか」を理解しておくこと、そして選んだ道に自信を持つこと
「なんとなく」とか「成り行きで」ではなく、
「事情があるから」「仕方なく」でもなく、
こういう生き方がしたいから、
こうやって生きています!
と言えること
世間の多数派や、現在のトレンドと違っていてもなんの問題もないです。
という言葉に出会ってしまい、これに勇気づけられる。この言葉にドライブされる。
ドライブされてどうなるかというと、失職した自分を正当化するようになるのである。他者とうまく関係を取り結べない自分こそ正しく、世の中の方が間違っていると考えるようになるのだ。
その結果、恨みばっかりを高じさせる。何の生産性もない恨みだ。自分は甘やかすばっかりで、具体的な解決策に何ら手をつけられない。
そうして、他者や社会との折り合いのつけられなさが、いよいよ不可逆的な地点にまで到達するのである。非生産的、非社会的になり、ただでさえ他者に冷たいこの日本という国において、精神的な意味だけではなく、物理的にも、もう生きてはいけなくなるのだ。死ぬのである。
あるいは、ぎりぎりのところで多重人格的になる。つまり、妥協して他者と折り合いをつけるのだけれど、その妥協のし方が、「今、他者と折り合いをつけている自分は世を忍ぶ仮の姿で、本当の自分は終業後、あるいはネットの中にこそある」というようなフレームで思考するようになる。だから、実際に働き始めると、「これは世を忍ぶ仮の姿なのだから、バレないようにいっそとことんまでやってやれ」ということで、必要以上に他者の顔色を窺い、卑屈になって、奴隷的に振る舞うようになる。「おれは社畜なのだから」と心の中で自嘲的に笑いながら、誰よりも使い勝手の良い存在として、安い賃金でこき使われるようになるのである。
そうして、それをものともしなくなるのだ。なぜなら、これは世を忍ぶ仮の姿で、本当の自分ではない、これは演技なのだと考えているからだ。そうして、演じるならとことん演じた方が良い――そのような思考法になるのである。
損ばかりすること - ハックルベリーに会いに行く
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120103/1325572751
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ふえぇ…ここまで読んでくれてありがとうだよぉ…